昭和57年、27歳の夏 石垣島、西表島で体験した「本物の大自然」
昭和57年の夏、私は27歳。
当時、英会話教材の営業の仕事に携わっており、
その営業先として沖縄の石垣島、
そしてさらに奥地の西表島まで訪れるという
貴重な経験をしました。
今でこそ観光地としても有名な八重山諸島ですが、
当時はまだまだ手つかずの自然が色濃く残る場所。
私が体験したあの夏の出来事は、
今でもはっきりと思い出せるほど印象的です。
「小さなプロペラ機で石垣島へ」
那覇空港から乗り込んだのは、
定員50名ほどの南西航空のYS-11型プロペラ機。
今のような大型機とは違い、
機体が揺れるたびに旅の冒険心をかき立てられました。
到着した石垣島では、登野城(とのしろ)という地域で、
同僚7人と1軒家を借りて2週間滞在しました。
日中は英会話教材の営業で島中の家庭を訪問し、
夜は地元の食堂でソーキそばやゴーヤチャンプルーなど
沖縄の家庭料理を味わっていました。
営業では、子どものいる家庭を一軒一軒訪問して、
「これからの時代、英語は絶対に必要になります」
「お子さんが社会人になる頃には、
国際感覚が求められる仕事も増えるでしょう」
「子どもの吸収力が高い今のうちに、英語に慣れさせておきませんか?」
といった説明をしながら、丁寧に教材を案内していきました。
「営業最終日は秘境西表島へ」
滞在も終盤に差しかかり、残り3日となったある日、
私たちは西表島へ渡ることにしました。
石垣港から船に揺られて向かった西表島は、
まさに手つかずの大自然。
当時はレンタカーは一台もなく、
桟橋のすぐ近くにあるバイク屋で
原付バイク(50cc)を全員分レンタルしました。
価格はもう忘れてしまいましたが、
丸一日借りて島を一周する計画を立てました。
今でも印象に残っているのは、
西表島には信号機が一つもなかったということです。
舗装された道は島1週道路の1本しかなく、
バイクで走っていても、対向車に一度も出会いませんでした。
道路の両側にはマングローブの林がどこまでも続き、
空気が澄んでいて静けさが心地よく、
まるで別世界に迷い込んだような気分でした。
道のど真ん中に「巨大ヤシガニ」が出現!
そんな自然豊かな西表島で、
今でも忘れられない光景があります。
道を走っていると、遠くの路面に
岩のようなものが見えてきました。
スピードを落として近づいてみると
なんとそれは赤みがかった巨大なヤシガニでした!
「うわっ、でかい!」
と思わず声をあげてしまうほどの大きさでした。
動物園や博物館でも見たことのないような生き物が、
当たり前のように道路の真ん中を歩いている。
まさしく本物の大自然だと思いました。
都会では絶対に見られない光景に、
私はただただ圧倒されていました。
まるでオブジェのような「巨大シャコ貝の殻」
営業活動中、訪問先のご家庭で見かけて驚いたものもあります。
それは、家の庭先に
無造作に置かれていた巨大なシャコ貝の殻です。
なんと、私の身長(170cm)を超えるほどの大きさでした。
博物館の収集家や貝の専門家であれば、
目を輝かせるような貴重な品が、
何の飾りも説明もなくただ庭に転がされていました。
西表島の人々にとっては、
それが当たり前の風景なのかもしれませんが、
私にはとてつもないインパクトでした。
実際にそばに並んで立ってみると
私より大きく、高さも高かったです!
「真っ暗になる前に石垣島へ帰還」
営業活動を終え、日が傾き始めたころ、
私たちは再び船に乗って石垣島の一軒家へと戻りました。
西表島には街灯もほとんどなく、
暗くなると本当に漆黒の闇になります。
暗くなる前に帰るのも重要だったのです。
あの頃の西表島は「本物の秘境」だった
今では観光インフラも整い、
ホテルやツアー会社も数多く参入している西表島。
ですが、私が訪れた昭和57年当時の西表島は、
「これが本当の自然か!」と息をのむような
原始の姿をそのまま残した場所でした。
巨大なヤシガニ、シャコ貝、
マングローブ林、信号機のない一本道
すべてが非日常であり、
忘れられない思い出となっています。
今の若い世代に伝えたい「本物の自然体験」
今の若い人たちが旅行で訪れる
石垣島や西表島ももちろん魅力的ですが、
私が体験したあの昭和の自然は
もう味わうことができないかもしれません。
ですが、
そうした体験を思い出として語り継ぐことはできるし、
自然の大切さ、
文化の奥深さを知るきっかけにもなるはずです。
都会の便利さとは対極にある、西表島のあの静けさ。
そこには、忙しい日常では決して得られない
心の解放があったように思います。
もし、自然に癒されたい、
沖縄の本当の魅力を感じたいという方がいれば、
ぜひ八重山の島々を訪れてみるといいと思います。
きっと新しい発見があると思います。